あさが来た なぜ、あさに生まれつき許嫁がいたのか?

なぜあさは生まれたときから、お嫁の行き先が決まっていたのでしょうか?

この記事では、あらすじとは別に、朝ドラ「あさが来た」でわからなかったことや疑問に思ったことをピックアップして、書いていこうと思います。

なぜ、あさには生まれつき許嫁がいたのか?

実は、あさが生まれた時代(幕末ころ)、大きな商家の結婚は、当人同士ではなく、家同士で決めるのが当然のことでした。

それは京都、随一の両替屋である今井家も例外ではなく、代々娘たちは、家のために大阪の両替屋に嫁ぐことが決まっていたのです。そのため、二人は厳格な父・忠興(ただおき)に厳しく育てられました。

そして幼いころから、はつには大阪一の両替屋・山王寺屋に、あさには大阪の大きな両替屋である加野屋に許嫁がいたのです。

あさと新次郎の歳の差に驚愕する

あさの許嫁は、加野屋の息子・白岡新次郎です。

白岡新次郎

番組を見た人は驚いたと思いますが、見るからにあさと新次郎の歳の差は、大人と子供もあります。2話ではあさは11歳でしたが、新次郎の歳は公表されていません。

しかし、このころは、あさと新次郎ほどの歳の差も珍しくなかったようです。

では、実際のところ、二人の歳の差はいくつだったのでしょうか? そこで、このドラマ「あさが来た」のモデルとなった広岡浅子と広岡新五郎の歳の差を調べてみると、お二人の歳の差は、8歳だったことがわかりました。

相撲を取るあさ

そしてお二人の歳の差を、そのままドラマに当てはめてみると、あさが11歳ですから、新次郎は19歳ということになります。

そう見てみると、さほど歳の差はありませんね。これは、少女時代のあさに、無理やり玉木宏さんをぶっ込んで来てしまったことに問題があったと思います。

今井家には危機が迫っていた

代々娘たちが大阪の両替屋に嫁ぐことが決まっていた今井家ですが、このころ京都随一の商人と言われた今井家にも危機が迫っていたようです。

明治になる15年前、武士の時代とはいえ、徳川幕府や大名たちは、大変な財政難に陥り、商人から莫大なお金を借り続けていました。つまり、返ってこないお金を貸し続けていたのです。

幕末とはいえ、士農工商の時代、商人たちは身分の高い武士に逆らえなかったのでしょうね。

しかし、しきたりのおかげで、あさが加野屋に嫁げば、今井家は安泰というわけです。あさにはお気の毒ですが・・・

あさが来た なぜ、あさとはつの許嫁が入れ替わったのか? ≫

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