「あさが来た」とモデル「土佐堀川」を比較してみた

今井家

モデル[井家]

三井家は、薩摩藩に肩入れしていた気配があるようです。

主人・今井忠興[三井高益]

姉・はつ[春]
はつのモデルとなったのは春です。
余談ですが、「はる」つながりで、波留さんが姉の春役をしても面白かったのではないでしょうか。

加野屋

モデル[加屋]
加野屋は、土佐堀川に面した場所にあります。モデルとなった加島屋も土佐堀川に面した場所にで、現在の大同生命本社(大阪市西区江戸堀一丁目)あたりにあったようです。

白岡あさ[岡浅
1849年(嘉永二年) 六代当主・高益(たかます)の四女として生まれる
1851年(嘉永四年) 大阪の豪商加島屋の次男・広岡信五郎と婚約(2歳)
1865年(慶応元年) 許嫁である広岡信五郎の許に嫁ぐ(17歳)
1874年(明治七年) 結婚10年目で、長女・亀子を出産(26歳)
1884年(明治17年) 炭鉱事業に乗り出す(36歳)発掘と販売(輸出)を行う
1897年(明治30年) 石炭の産出量が急増し、優良な炭鉱になる(49歳)

夫・白岡新次郎[広岡信五郎]
名前が信五郎のため、五男と思われるかもしれませんが、加島屋の次男坊です。のちに浅子は新五郎のことを『少しも自家の家業に関与せず、万事支配人任せで、自らは日ごと、謡曲、茶の湯等の遊興(ゆうきょう)にふけっている有様であります』と綴っています。

山王寺屋

モデル[王寺屋]

時代背景

なぜ、大阪の両替屋が次々と潰れていったのか?
度重なるご用金調達や藩債権の整理が行われて多くの両替屋がほとんどの資産を失った上、明治政府が関西で商取引の基準になっていた銀本位制が廃止され、手形が紙くずになる前に換金しよう客が押しかけたためです。

実際に新選組の土方歳三がお金を借りに来ていた?
あさのモデルとなった広岡浅子が創設した大同生命の大阪本社には、新選組の土方歳三がお金を借りに来た証文が残っているそうです。そのときの貸付金の額は四百両だったと言います。

小説 土佐堀川

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